
在宅で療養するということ
必ず訪れる死というもの、我々は生まれたてのお子様から、青壮年期の働き盛りの患者さま、老いて旅立つまで。人生のすべてのステージを見ています。ですから生活習慣病の患者さまや高齢の方をみていると、その方の将来が自ずと見えるような気がすることがあります。
そして実際に多くの方が予想通りの結果になっていきます。そして、在宅医療では特にこの先を読む力が大切になります。
我々医療者も同じ人間ですので病気や死とは無縁ではありありません。もちろん誰にでも生きる上で苦しみはあります。私自身も苦しい時は般若心経を唱えたり、仏教書を開いたりすることがあります。しかし、一日一日死に近づく限られた人生だからこそ、よりよく生きる方が良いと思うのです。よりよく生きるとは、人によって捉え方が違います。それは患者様やその御家族のアイデンティティです。我々は多職種の連携によりそれを汲み取り、患者様やそのご家族にとって、より良い生活とは何で、そのために何が出来るのかを考えています。
クリニックをはじめるきっかけ
私は大学在学中に救命救急センターや、脳神経外科、循環器内科など治せる治療に魅力を感じ無理を言ってこれらの科を卒後研修(研修医)でローテートさせて頂きました。朝から晩まで仕事をして、夜中に急患で呼ばれて手術を行う。そして命を救う。夜明けに安堵する暇もなくまた普通の一日が朝から始まる。そんな現場に魅了されました。その後大学院に進み、動物実験や臨床データの解析等を通し新しい治療の研究や開発などに取り組みました。集めたデータを当直中につたない英語で気合だけで一遍の論文に仕上げたりしたりもしたものでした。
この時は治すこと、救うことが医療だという認識であり、病気や生命の危機に対峙することを主軸においていました。論文を書いたり、読んだり、データを解析したり、国際学会で発表したり、刺激を受けたり。それは面白いものではありましたが、一生を捧げるものでは無いと何となく感じていました。そもそも私が医師を志したのは地域医療を担う叔父の存在でした。手術も行い、往診もこなし、外来と入院患者の診療も行う。やはり初心へ帰ろう、自分の生まれ育った場所でできることをやってみよう。それがクリニックを始めるきっかけでした。
在宅医療でのとりくみ
2025年からの多死社会の始まりに向け、何が出来るのか出来ないのか、病院は病気と闘い治療をする場所。生活の延長に自然な形で人生の最期が穏やかにあるように。我々にできる事を精一杯、予防医学を含め、慣れ親しみ育ったコミュニティーのなかで、かかわりのあるすべての人の限りある人生がよりよくなるよう取り組んでいきたいと願っています。
当院は在宅緩和ケア充実診療所として、緩和ケア認定看護師が在籍しており、スタッフ一同日々研鑽に励み、毎年50名ほどの患者さまの旅立ちのお供をさせて頂いております。かけがえのない貴重な時間を少しでも安楽に有意義に過ごしていただきたいと願っており、自院のスタッフのみならず、様々な医療スタッフと共同で連携し、ご自宅での療養を問題なく過ごせるように尽力致します。
福岡市中央区は独居の高齢者が多く、身寄り頼りの無い方も沢山生活されています。
我々はもてる人材とチームワークやネットワークで独居の方の在宅看取りも積極的に行っています。
一期一会
つらい別れの時も家族と一緒に、支えあいながら最後まで生活の延長で旅立ちを迎える、そんなお手伝いをさせて頂いています。正直お看取りは医療従事者にとって時に大きな精神的ダメージを受ける事があります。虚しさから般若心経を唱えても救われない日々を過ごす羽目になることもあります。しかし、これを通して生きることの意味を学び、自分自身にも悟りへの境地が得られる、あるいは次はもっと上手くやれるのではないかという思いもあります。あのマザーテレサでさえ苦悩の日々だったと聞きます。これまでにお看取りさせて頂いた、数百名の一人一人が思い入れ深い関わりです。往診に向かう道すがら、お看取りをした御宅を通り過ぎるたびに様々な思い出がよみがえってきます。これからも一期一会、すべての出会いは運命だと信じて自分の両手に抱えられるだけの事を粛々と行っていきたいと思います。最期の友人として私の手を握りしめながらありがとうって旅立たれていった患者様の事は忘れられないものです。